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大須賀淳
2024.5.26 21:12その他ニュース

権利と道理と嫉妬と幸福

2日連続のDOJOイベント、参加や視聴から、設営・出演など関わった全ての皆さん、お疲れ様でした!

 

両日のテーマとも、むしろ終了後の方が「単体の記事として書きたい」事が数多く噴出しており、明日から一つずつ丁寧に書いて行きたいので、今日は一番抽象的な(だけど、その基礎部分となる思いを含んだ)形で記しておきます。

 

物事の「道理」が、共有できている常識や慣習などから外れて「通らない」と感じた時、曖昧ながら強烈である不快感を少しでも和らげるための心の安全装置として、「〝利〟を得ている」ように見える人に対して「嫉妬」を抱きます。

 

嫉妬の後ろめたさを正当化するため、「私にも平等に〝利〟をよこしなさい!」と求めるのが「権利」です。

 

だけど、本当は「権利」の設置では、人の感じた不幸感って消えないんです。そもそも毀損されたのは「利」じゃなく「理」だったのだから。

 

不幸(ニュアンス的に「ふしあわせ」と読んでほしい)を払拭するには、かりそめの「利」で埋めようと思っても不可能で、色々と大変ではあるけれど「権理通義」ときっちり向き合うほか無いんです。

 

「利」は、やみくもに要求しても、それを得る事に長けた者が独占してしまい、「おこぼれ」に預かりたい(トリクルダウン)という打算すら虚しく打ち砕かれる事が大半です。

 

しかし、「理」(ことわり)は「価値の通り道」なので、きちっと通れば、精神が充足される価値(幸福)が多くの人に行き渡ります。

 

「理」と、それが通じ合う事で築かれる「義」(関係性)の希求、今後のあらゆる行いの基礎に、これを置いて行こうと思い至った2日間でした。

大須賀淳

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